2026年1月6日お知らせ

天神様(菅原道真公)とは|学問の神様の生涯と天満宮の歴史

天神様とは

天神様(てんじんさま)とは、平安時代の貴族・学者である**菅原道真公(すがわらのみちざねこう)**を神様として祀った呼び名です。「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」を略して「天神」と呼ばれています。

学問の神様、文化芸術の神様として広く信仰され、全国に約12,000社ある天満宮・天神社で祀られています。受験シーズンには多くの学生が合格祈願に訪れることでも有名です。

菅原道真公の生涯

幼少期から青年期

菅原道真公は、承和12年(845年)に京都で生まれました。菅原家は代々学者の家系で、道真公も幼い頃から並外れた才能を発揮しました。

5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を作ったと伝えられています。この早熟な才能は「神童」と称えられ、後の学問の神様としての信仰につながっています。

出世と政治家としての活躍

33歳で文章博士(もんじょうはかせ)となり、学者として最高の地位に就きました。その後、政治の世界にも進出し、宇多天皇・醍醐天皇に重用されて右大臣にまで昇進します。

この時代、藤原氏が政治の実権を握っていましたが、道真公は藤原氏ではない人物として異例の出世を遂げました。

大宰府への左遷

しかし、道真公の出世を妬んだ藤原時平らの陰謀により、昌泰4年(901年)に無実の罪で大宰府(現在の福岡県)へ左遷されてしまいます。

大宰府では厳しい生活を強いられ、延喜3年(903年)、59歳でその生涯を閉じました。「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」という有名な和歌は、京都を離れる際に詠んだものです。

天神様としての信仰の始まり

道真公の死後、京都では落雷や疫病、皇族の死など不吉な出来事が相次ぎました。人々はこれを道真公の怨霊の仕業と恐れ、その霊を鎮めるために北野天満宮が創建されました。

やがて怨霊としての性格は薄れ、生前の学識にちなんで「学問の神様」として信仰されるようになりました。

天満宮の歴史と主な神社

北野天満宮(京都)

天暦元年(947年)に創建された、天神信仰発祥の地です。全国の天満宮の総本社として、多くの参拝者が訪れます。毎月25日の縁日「天神さん」は、骨董市としても有名です。

太宰府天満宮(福岡)

道真公の墓所の上に建てられた神社で、北野天満宮とともに天神信仰の中心地です。境内には「飛梅(とびうめ)」があり、道真公を慕って京都から一夜にして飛んできたという伝説が残っています。

湯島天神(東京)

関東を代表する天満宮で、特に受験シーズンには合格祈願の参拝者で賑わいます。境内の梅園も有名で、毎年2月〜3月には梅まつりが開催されます。

大阪天満宮(大阪)

日本三大祭りのひとつ「天神祭」で知られる神社です。毎年7月24日・25日に行われる天神祭は、約130万人の人出で賑わう大阪の夏の風物詩です。

天神様のご利益

学業成就・合格祈願

最も有名なご利益です。道真公の学識にあやかり、受験生や学生が多く参拝します。受験シーズンには絵馬掛けが合格祈願の絵馬で埋め尽くされます。

厄除け・災難除け

かつて雷神として恐れられた名残から、落雷除け・災難除けのご利益もあるとされています。

文化芸術の上達

道真公は漢詩や和歌に優れていたことから、書道や詩歌など文化芸術の上達を願う人々にも信仰されています。

正直者の守り神

無実の罪で左遷されながらも、恨み言を言わず誠実に生きた道真公は、正直者の守り神としても信仰されています。

天神様にまつわる風習

梅の花

道真公が愛した梅の花は、天満宮のシンボルです。神紋にも梅が使われており、境内には多くの梅の木が植えられています。

撫で牛(なでうし)

天満宮の境内には「撫で牛」と呼ばれる牛の像があります。自分の体の悪い部分と同じ場所を撫でると、病気が治るという信仰があります。牛は道真公の使いとされています。

毎月25日の縁日

道真公の誕生日(6月25日)と命日(2月25日)にちなみ、毎月25日は天神様の縁日とされています。この日に参拝すると、よりご利益があるとされています。

まとめ

天神様・菅原道真公は、悲運の生涯を送りながらも、その学識と人柄により千年以上にわたって人々に敬愛されてきました。

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